− 家族になりたい・3 −

 ◇ 星空の下で



 シャワーを浴びて自分の部屋に戻った達也は、ガラス戸の向こうのベランダに茂の姿があることに気づいた。
 『喫茶 TOKIO』は一戸建て住居の1階部分で、2階部分には6帖より少し狭いくらいの部屋が5つある。そのうちの隣り合った2室を茂と達也が使っており、その2部屋はベランダで繋がっている。
 達也は髪の水気を取ったタオルを首に引っかけたままガラス戸を開け、裸足でベランダに下りた。
 ふわりと茂が振り返る。
「まだ夜は寒いんだから、ほどほどにしないと風邪引くよ」
 そう言って達也は、掌を茂の背中にぽんと置いた。
 茂は返答の代わりに微笑んで、おもむろに空を仰ぐ。
「見て、達也。星が綺麗に見えるで」
 細い三日月はすでに西の空へ傾いており、よく晴れた夜空に星の瞬きがくっきりと見えている。
「本当だ、綺麗」
 達也は、『おあしす園』にいた頃もこうして2人で星を観たことがあったなと思い出を掘り起こす。――まだ施設に入って間もない小学生だった頃だ。
 外で遊ぶことの好きな達也とは正反対で、いつも物静かに一人で本を読んでいた茂。
 学校で悲しいことがあったり嫌なことがあったり、ちょっぴり『おあしす園』に帰りたくないなという気分のときに時間を潰した公園で、一緒に星を観て、達也は茂に星座の名前をいろいろ教わった。
「あれ、北斗七星だよね? ってことは……あの辺がおおぐま座」
 達也がその頃の記憶を引っ張り出して空を指すと、茂は嬉しそうに「そうそう」と相槌を打つ。
 茂は太一、昌宏、智也にも同じように星座を教えていたけれど、その反応は三者三様だった。
 太一は興味なさげな様子で、適当に「ふーん」と茂の説明を流して聞いていた。昌宏は3人の中で一番興味は持ったようで、茂に薦められた星座に関するギリシャ神話の本なんかを一時期熱心に読んでいた。智也は動物の名前なんかが出てくると喜んだけれど、星座の形を憶える様子は見られず、ただ茂の話を聞くのが楽しいだけのようだった。
「……元気そうやったな、みんな」
 視線は空に向けたまま、茂は息を吐き出すのと一緒にそう言った。
 茂の横顔に刻まれているのは穏やかな微笑で、その言葉は大部分が安堵だけれど、ほんの少しの寂寥が混ざっているように達也には聞こえた。
「うん。それに……成長してるね、やっぱ。ほんの一ヶ月ちょっと会ってなかっただけなのにさ」
 達也はさきほど携帯電話に届いていた太一のメールを思い浮かべる。
 昌宏が茂の体調を心配していたということを書いた後に、夏休みは忙しいだろうし出来るだけ店手伝うから、と書き添えるなんて、何より部活一番だった太一を知っている達也からしてみれば物凄い変化である。去年までなら、部活がない日でもサッカーをしに出かけているところだろう。(更に続けて、手伝うこと茂くんには言わないでいいから、と書いてきているのはいかにも太一らしかったが。)
 高校生になったら『喫茶 TOKIO』を手伝うと断言したという昌宏の茂大好きっぷりは相変わらずだが、周りの空気を見すぎてしまう彼にしては、揺らぎなく自分の意思を貫き通す姿勢を感じた。(茂のため、という大義名分が大いに影響していることは明らかだとしても、だ。)
 そんな2人に影響されたか、智也が手伝いたいと言い出したのも大きな成長だろう。
 これまでは兄同然の4人に無邪気に甘えていた智也が、自分の出来ることをしたい、4人の後を追いたいと自ら明確に動き出したのはこれが初めてかもしれなかった。
「うん……ほんまに」
 細く息を吐き出し、茂は唇を閉じた。
 再び空を見つめる茂の視線の先を、達也も追う。
 ――その時、2人の視界を小さな星が尾を引いて横切った。
『あ、流れ星!』
 ぴったり重なった2人の感嘆が終わらぬうちに、流星は闇の彼方へと消えてしまっていた。
「うわースゲェ、俺、流れ星なんて何年ぶりに見たんだろ!?」
「僕も、記憶にないくらいやわ……」
 向かい合った2人の表情はどちらも感激を隠せぬ様子で、眼が潤んでいた。
「それにしても、ハモったね。見事ぴったり」
「きっと、ホンマに同時に流れ星を見て、同時にびっくりしたんやろね」
 歳を追うごとに、茂も達也もお互いの感情の起伏が重なりやすくなっていると感じていた。
 昔からのことではないのは明らかである。
 達也は入園当初、感情を高ぶらせることを知らぬかのごとき茂によくイライラさせられた思い出があったし、茂は言葉よりも表情で語る達也を興味深く観察した過去があるからだ。
 血の繋がりはなくとも、兄弟のように、家族のように、共に暮らしてきた――そのことが大きく関係しているのだと確信していた。
「達也、何か願いごと言うた?」
「そんなの、考える暇もなかったって。願いごとって確か、3回唱えなきゃダメなんだよなぁ……」
 絶対無理だろ、と肩をすくめながらも、達也は「しげは?」と問い返す。
「うん……。言いたいな、って思ったときには、もう流れ星消えとったわ」
「……しげの願いごとって、何?」
 茂は、しっかりと自己を確立しているわりに、自分のことを後回しにしがちな傾向がある。確固たる想いを持っていてそれは曲げないのだけれど、口に出して主張することは少なく、他人のことを優先して行動するのだ。
 その性格を熟知している達也だからこそ、茂の願いごと――つまりは、茂が胸に秘めている本当の想いの欠片を、きちんと聞いておきたかった。
 静かな微笑を浮かべた茂が口を開く。
「僕の願いは、ひとつだけ……。いつかみんなで――僕と達也と、太一と昌宏と智也とで、ここで一緒に暮らしたい……家族を、つくりたい」
 家族の愛に飢えていた茂が、初めて知った温かい絆。それが、達也、太一、昌宏、智也の存在だった。
 そして茂にとって、一番大切で、失えないもの――。
 すると、達也の手が伸びてきて茂の肩を抱き、にっこりと笑った。
 陰の感情に陥りがちな茂をすべて包み込んでしまいそうな、陽の笑顔。
「そのために、わざわざ2階改装して部屋を5つ造ったんだからね? その願いは叶うよ、絶対。……ね?」
「……うん」
 二人を見守るやさしい夜空で、もうひとつ、小さな星がキラリと流れた。


2010.08.01

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