− 家族になりたい・4 −

 ◇ 家族というもの



 『喫茶TOKIO』の開店時間は午前8時からである。
 モーニング・タイムとして午前8時〜9時30分まで店を開け、休憩を挟んで午前11時からまた開店し、午後6時に閉店する。
 これは前のマスターのこだわりで、案外このモーニング・タイムの常連客が多いので茂もそれを踏襲していた。
 そうすると達也の出勤時間と『喫茶TOKIO』の開店時間が重なってしまうため、達也は自然と茂が働いている目の前のカウンター席で朝食を食べるようになった。
 しかしながら、達也は自他共に認める米好きである。
 なるべく朝食は米がいい、という達也の嗜好を踏まえ、茂はモーニング・セットに『日替わりおにぎりセット』という、喫茶店ではあまり見かけない和風メニューを新しく追加した。
 おにぎり2つ(具材は日替わり)と味噌汁、葉菜のおひたし、ゆで卵のセットはシンプルでいて飽きが来ず、達也が喜んだのはもちろんのこと、一般客にも好意的に受け容れられはじめている。

 現在、時計の針はは7時50分を指している。
 達也が洗面台を使っている音を聞きながら、茂は階段を上がった。そして、まだ主のいない3つの部屋のカーテンを開けていく。
 1つめの部屋は紺色のカーテン、2つめの部屋は青紫色のカーテン、3つめの部屋は臙脂色のカーテン。
 此処で暮らすようになってから何とも思わずやっていた日課だけれど、昨夜達也とあんな話をしたものだから、思わずぼんやりと何もない部屋を眺めて佇んでしまった。
「しげー? そろそろ店開ける時間……」
 トントンと軽やかな足音を立てて階段を上ってきた達也は、廊下に立ち尽くしてドアの開け放たれた3つの部屋を見遣る茂の後姿を見て、何となく彼の心情を察することができた。
 肩に達也の手が置かれて、茂ははっと視線を睫毛の長い切れ長の眼へと向ける。
「今はこんな静かだけどさ」
 その眼がゆっくりと三日月形に細められた。
「数年後には嫌っていうほどにぎやかになってるよ。ほら……想像つくでしょ、しげ」
 茂はもう一度、がらんとした3つの部屋へ視線をやった。

 紺色のカーテンの部屋には――きっと、世界各国のサッカー選手のポスターやユニフォームが所狭しと飾られていることだろう。サッカーボールも転がっているかもしれない。
 青紫色のカーテンの部屋は――本棚にさまざまな料理に関する本が並んでいるだろうか。カーテンを選んだのは茂と達也だが、それ以外の家具類も、おそらく紫色を基調に揃えられることが容易に想像できる。
 臙脂色のカーテンの部屋では――ベッドで寝こけてなかなか起きない彼の姿があることだろう。きっと毎朝、彼を起こすために一騒動起こるに違いない。

「……そうやなぁ」
 くすくすと笑いをこぼす茂。
 その表情から愁いが消えたのを確認した達也は、改めて現在の時刻を茂に告げてやる。と、「うわ、もうそんな時間?」と茂は慌てて階下へ降りていった。
 ひとつひとつのドアを閉め、達也は呟いた。
「早く、家族みんながこの家に揃うといいなぁ……」


  ◇


「いってきまーす!」
 智也の大きな声が響き、『おあしす園』のドアから制服姿の智也、昌宏、太一の3人が出てくる。
 太一の朝練がない日は、昌宏と智也がいつもより少し登校時間を早めて一緒に『おあしす園』を出る。誰が言い出したわけでもないのだが、それは3人の間で暗黙の了解となっていた。
「太一くん、マボ。僕、今日はすっげーいい夢見たんだあー」
 朝に弱い智也が、登校時間にこれだけテンションが高いのも珍しい。
 そういえば、今日はいつもより智也を起こすのに手がかからなかったと太一は思った。
「どんな夢? 美味いもんでもいっぱい出て来た? 辺り一面イチゴで埋め尽くされてるとか」
「あ〜それもいいね〜。でも違うの、そういうのじゃなくて」
 昌宏の言葉に首を横に振った智也は、より眼を輝かせて口元を緩めた。
「あのねぇ、『喫茶TOKIO』に、みんなで一緒に住んでる夢」
 太一も昌宏も、上機嫌で歩く智也の顔をはっと見る。
「朝は、朝食のいい匂いで眼が覚めるの。そしたらマボが起こしに来てくれて、智也が独りで起きてんの珍しいなーって。で、着替えて一緒に1階に降りて行って、店の中に入ったら、カウンター席に達也兄ちゃんと太一くんが座って朝食食べてんの。カウンターの中ではエプロンつけた茂兄ちゃんがいてね。みんながおはようって言ってくれて――ってとこで眼が覚めちゃった」
 昨日訪ねたばかりの『喫茶TOKIO』の内装を脳裏に思い浮かべれば、カウンター内に立つ茂の笑顔、そしてその向かいのカウンター席に座って食事を掻き込む達也の姿はありありと想像できた。
 ――その空間に、いつか……自分たちも。
「確かにいい夢だな」
「そうでしょ、太一くん」
「……俺も、そんな夢見たいなぁ」
「見れるよ、マボ! 茂兄ちゃんと達也兄ちゃんの夢見たい〜って思えば見れるよ、絶対!」
「何だよその根拠のない自信は……」
「それで見られたら苦労ないって」
 そんな答えを返しつつも、昌宏は、今夜は智也の言ったことを実行してみようかなと思うのだった。

 朝の陽射しに包まれた3人の心には、温かな夢がひとつ、生まれていた。


2010.12.20



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