ホールと同じく色褪せた絨毯が敷かれた埃っぽい階段を上り、トモヤは踊り場に立った。
 正面の壁には大きな姿見。精緻な銀細工で縁取られた豪奢なものだ。
 その姿見に軽く手をかけるようにして立っている男性人形(ドール
 トモヤと同じくらい背が高く、黒髪はオールバックにしてひとつに結わえている。
 色の入った眼鏡と気取った服装をしているが、腰には剣を()いていた。
 しかしトモヤのものとは違って、柄や鞘にごてごてと目立って重そうな装飾があり、見るからに実戦用ではない。
「あーこれ、見たことある……剣舞用の剣だ」
 世界各国を旅する職業として最もポピュラーなのが、トモヤのような冒険者と呼ばれる職業だが、もうひとつ大きな割合を占めるのが旅芸人である。
 この人形(ドールが持っている剣は、それを持って舞い踊る剣舞者と呼ばれる旅芸人が使用するものだった。
 華麗さを求められる芸なので、華美な装飾が好まれるのだ。舞いやすいように刀身は軽く細工されているため、刃が脆く折れやすくなっている。
 そしてこの人形(ドールもまた、右手に深紅の薔薇を一輪握っていた。
 しかし、さきほどの蕾よりももう少し解けて、しっとりとした花弁の重なりが露になっている。
 色つき眼鏡の奥にある彼の眼は、鏡を見つめているようだ。
 トモヤは何気なく鏡を見遣って――
「うわっ!?」
 思わず声を上げて一歩後ずさった。
 鏡に映っているのは、その人形(ドールだけではなかったのだ。
 彼を埋め尽くさんばかりの薔薇、薔薇、薔薇。
 彼が手に持っている一輪は深紅だが、鏡の中に密生しているのは赤紫色の薔薇だった。
 長い間手入れをされていないせいで、鏡の面は白くぼんやりと曇っているが、そんな理由で見間違えたりはしないだろう。
「うわあ……何だこれ、スゲー! この人形(ドールが原因かな!?」
 さすがのトモヤでも精巧すぎる人形に触れるのは少し気後れしてしまうので、何か仕掛けがあるのかとその人形の周りをあちこち覗き込んでみるが、何もなさそうだった。

 それにしても、楽士の人形に、剣舞者の人形――
 この館の主はよほど裕福だったのだろう、とトモヤは思った。
 人形(ドールはもともと人形師のための形代(かたしろである。人形を遣う力を持たない人間には本来、不要のモノだ。
 しかし一部の富裕層の人間は、人形師に依頼して人形(ドールを創ってもらい、専用の召使や護衛にしているのだ。
 それは人形師がそのような命令とともに人形を生み出しているから召使や護衛の仕事ができるのであって、人間側から新たな命令を与えることは不可能である。
 そもそも人形師に一体人形(ドールを創ってもらうだけで気の遠くなるような資金が必要なのだから、楽士やら剣舞者やら、実用的でない人形なんて普通なら創らない。
「まだ、二階にも人形(ドールあんのかな……」
 トモヤの期待はいつのまにか、食べ物から人形へと移っていた。
 若干胸をうきうきさせて、段飛ばしで階段を上る。
 一階とは違って二階は薄暗く、奥に向かってまっすぐ廊下が伸びていた。
 その両側には客室らしき木戸が等間隔で並んでいるが、どれも蜘蛛の巣がかかり、埃で白っぽくなっている。
 トモヤは試しにひとつのドアのノブを回してみたが、鍵がかかっているらしくガチッと阻まれてしまった。
 それでも諦めきれなくて廊下を進んでいくと、突き当たりにもドアがあった。
 今までの画一的なドアとは明らかに異なる、両開きの立派な扉である。玄関の扉と同じような輪状のドアノブがついている。
 ごくりと唾を飲み込んでから力を込めてドアノブを引くと――扉はあっけなく開いた。
 勢いをつけすぎて踏みとどまれず、少しよろけてしまったくらいだった。
「なぁんだ……簡単に開いちゃったよ」
 しかし視界に入ってきたのは、暗紫色の一色のみ。
 扉を開けてすぐ、光沢のある分厚い生地のカーテンが下ろされているからだ。
 それを開こうと手をかけた瞬間――カーテンはジャッとひとりでに左右に分かれて開き、視界が開けた。
 ボッと、部屋の真ん中あたりにある燭台の蝋燭にも勝手に火が灯る。
「えっ……だ、誰かいるの?」
 トモヤは慌ててあちこち部屋の中を見回すが、誰もいそうにない。

 ――人形(ドール以外は。

 燭台の向こう側。
 窓の横に飾ってある騎士の鎧を背に、その人形(ドールは悠然と椅子に座っていた。
   




2010.04.14

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