夜の潮風が心を落ち着かせてくれるのに任せ、俺としげはしばらく浜に佇んでいた。
 俺の左手の上に重ねられていたしげの手が、ゆっくりと離れる。
「ごめんなぁ。もっと楽しい話でも、できたらよかったんやけど……しんみりさせてしもて」
 しげの横顔が淋しげに揺れて見えたので、俺はぶんぶんと首を横に振った。
「しげは気にしなくていいんだよ。そもそも俺が振った話題だし……俺は、しげのことが少しでも知れて、嬉しかった」
「そうか……?」
 しげの心の問題に、俺は立ち入れない。
 思い出の中の少年を見つけるのに、しげが望むのなら俺はいくらでも手を貸してあげたいと思う。
 だけどしげが諦めるというのなら……何も出来ない。
 ただ、この淋しげな表情を払拭したい。
 ――やさしく、やわらかく、笑ってほしい。
 それが一番、しげに似合う表情だと思うから。
 俺はすっくと立ち上がった。
「しげ、ちょっと待ってて。いいもの取ってくるから!」
 裸足のまま砂浜を走って辿り着いたのは、俺が乗ってきた自転車。そのカゴに入っている鞄に腕を突っ込んで、中を漁った。
 かさりと指に触れたビニールの感触を引っ張り出す。
 線香花火だ。
 先日、海の家の片付けをしているとき、棚の陰に落ちていたのだ。もとに戻そうとしたら、袋がわずかに破れているのを見つけてしまった。これではもう商品にはならない。
  おじさんに訊くと「もらっておいていいよ」と言われたので、そのまま鞄に入れっぱなしになっていたのだった。
 鞄の外ポケットから使い捨てライターを取り出して、俺はしげのもとへ戻る。
「これ! 線香花火、しよう!」
 差し出したビニール袋をまじまじと見つめたあと、俺の方に視線を戻したしげは、困ったような微笑を浮かべていた。
「……もしかして、しげ、線香花火……」
 すべて言い切る前に、しげはこくんと肯く。
「ん……したこと、ない」
 線香花火といえば、夏の風物詩、子どもの頃の思い出……みたいなイメージがあって、皆が一度はしたことあるものだと思っていたけれど。
「打ち上げ花火は、見たことあるんやけど……こうやって、自分で持ってするようなんは……」
「あ……もしかして、火も苦手だったりする?」
 水が苦手だって言ってたからそういう可能性もあるかなと思ったけど、しげは静かに首を横に振った。
「大丈夫。……達也、やり方、教えて? やってみたい」
 ふわり、しげの表情が和らぐ。
 それを見て嬉しくなって、俺の心もほころんだ。
 ビニール袋から線香花火の束を取り出してばらし、一本をしげに渡す。
 鮮やかな赤紫、黄、青の三色で染められた線香花火の本体を眼の近くまで持っていって眺めたあと、しげは両手で持った線香花火の向きをくるり、くるりと変えつつ、小さく首を傾げる。
 どちらが持ち手なのか迷っているのかもしれないと思って、俺は正しい持ち方をしてしげに示した。
「こっちを持つんだよ。この膨らんでるところに火薬が入ってるから」
「あ……そうなんや……」
 親指と人差し指でつまんで持った線香花火は、少しの風でもふらふらと不安定に揺れる。
「火つけたら、丸い火の玉みたいなのができるんだけど……それが落ちたら、終わっちゃうんだ。だからなるべく風に当たらないように、線香花火が揺れないように、工夫しないといけないんだよ」
 俺たちは風を遮断できるように、躰を寄せ合ってしゃがんだ。
 背中を丸めて、頭をつき合わせて。其処に、誰にも見られたくない宝物があるかのように。
 線香花火の軸が揺れていないのを確かめてから、俺はライターで二人の花火に火をつけた。


2011.07.19

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