初めは二人とも、すぐに火の玉を落としてしまった。
 しげは「繊細で難しいなぁ……」とぼやく。
 潮風を防ごうと、俺たちは海の家の端に戻り、壁を風除けにすることにした。
 しゅうう、と火の点いた火薬が収縮していく。俺たちは息を詰めて、それが玉の形になっていくのを見守る。
「線香花火は、だんだん形が変わっていくんだよ。これが、“蕾”……」
 火の玉を落とさないように気を張っているからか、声は自然とひそめたものになる。
 しげの眼は真剣に、儚き火の玉を見つめている。
 次第に、パシッ、パシッ……と火の玉の周りに火花が咲きはじめた。
「火花の出始めが、“牡丹”……」
 ゆっくりとした感覚で、比較的大きく火花が灯る。まるで、花びら一枚一枚をかたどるように。
 線香花火の段階に名前がついていることを教えてくれたのは母親だった。
 今俺は、幼い俺に言い聞かせてくれていた母親の口調を思い出しながら、しげに話しかけている。それが何だか、不思議な感じがする。
 だんだん火花が散る間隔が狭まってきた。
 すると火の玉を花心として、朱色の輝く一輪の花が大気に咲いて浮き上がる。
「線香花火が一番綺麗なとき。これが、“松葉”……」
 火花の勢いが衰えはじめると、流星の尾のごとく、地面に向かって落ちてゆく。
「これで最後……“散り菊”だよ」
 火花の描く曲線が短くなり、花心がしぼみ――線香花火の光は消えた。
 俺たちを照らし出すのは、東の空を昇りはじめた月の影のみ。
 ほうっ、とどちらからともなく吐息が漏れる。
「最後までできたね」
 俺の言葉に、しげは嬉しそうに肯いてくれた。
 残りの六本を二人で分けて、俺たちは飽くことなく線香花火を眺めた。
 ――最後の一本、しげが持っていた線香花火は、“散り菊”の途中でポトリと火の玉が落ちてしまう。
 砂の上で最後の赤色が消えてしまうと、しげは細く息を吐いたようだった。
「綺麗なもんやな……」
 暗闇に慣れた眼は、しげが名残惜しげに線香花火の紙縒りを指先でもてあそぶ様を、紗で包み込んで映し出す。
「此処には、綺麗なもんがいっぱいある……」
「此処の……海に?」
 しげはゆるやかに微笑んで立ち上がり、海の方へ足を踏み出した。
 俺も立ち上がって隣に並ぶ。
「満天の星……やさしい月を、こうやって……潮風に吹かれながら、眺めること」
 風になぶられた髪で、しげの表情が一瞬隠れる。
「裸足で、砂の上を歩くこと……」
 数歩歩いて、しげがくるりと振り返った。
「達也と……こうして、一緒に時間を過ごすことが……。僕にとっては、きらきらした宝物みたいに、綺麗なものなんよ……」
 当たり前のことだと思っていた。
 星や月を眺めることも、肌に風を感じることも、砂の感触を足の裏で確かめられることも。
 ……こんな何気ないことでも、しげが大切だと感じているなら、俺にとってもひとつひとつが宝石のように思えた。
 しげが隣にいるから、気づけた。

 空も、風も、砂も――そしてこの海も。
 美しさが当たり前にあるのではなくて……大切な人と一緒に感じることで、ますます美しく感じられるのだ。

 退屈で仕方がないと思っていた、夏休み前の俺が嘘のようだ。
 しげと共に感じたこの夜は、俺の記憶に深く刻み込まれるだろう。

「しげ。ありがとう」
 大切なことを教えてくれて――。
 しげは不思議そうな表情を浮かべたけれど、にこりと微笑み返して、俺が差し出した手を取ってくれた。
「僕の方こそ。……ありがとう、達也」
 まっすぐに俺を映したしげの瞳は、光の加減だろうか――深い海の色に見えた。


2011.08.07

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