| |
俺は自然と早まる足取りをしげの歩調に合わせるように抑えながら、昼間は海水浴客で溢れる砂浜を突っ切って岩場の方へ歩いていく。 「足元悪くなるから気をつけて」 「ん……わかった」 浜に突き出した岩を避けてその向こう側へ行くと、浅瀬になっている。水中からも岩がのぞいているので、ぶつかる波がやや騒がしく飛沫を上げている。 「あ……波が、光った……?」 しげの口からこぼれた驚嘆に、俺は気分を良くした。 「綺麗でしょ? ヤコウチュウっていうプランクトンが光ってるんだって」 プランクトンが増えすぎると赤潮になり、水質汚染の原因になるということは知っている。だけど、岩で砕けた波が青く発光するこの光景は、とても綺麗で幻想的だ。 俺は繋いでいたしげの手をそっと離すと、ビーチサンダルを脱いでバシャバシャと波が寄せる中へ入っていく。俺の脚が掻き分けた波も青く光る。 「達也?」 「こうするともっと綺麗なんだよ!」 そう言って、バシャッと波を蹴り上げる。 刺激を受けたヤコウチュウが先程よりも強く光って、刹那空気中で踊り、そして滴と共に水面へ溶け落ちる。 呆けたように立ち尽くしているしげに、俺は手招きをした。 「おいでよ、しげもやってみな?」 「や……僕は……」 困惑を滲ませた声。そういえばしげは泳げないと言っていたということを思い出した。 俺は海から出ると、しげの目の前に立ってその左手を取る。 「しげは、海が怖い?」 色の薄い瞳が大きくなる。ぱちぱちと瞬いた後、しげは躊躇いがちに小さく、首を横に振った。 「怖い……んとは、違う……。海は、僕の――」 しげはそこではっと言葉を止め、一瞬の静寂となる。 けれども俺が口を挟む前に、ゆるりと頭を振って、微笑を浮かべて口を開いた。 「そやな……やっぱり、怖いんかもな……。でも、達也がこうしてくれてたら……大丈夫な気がするわ」 そう言ってしげは、俺が掴んでいた彼の左手に右手を重ねてぎゅっと握り返してくれる。 その信頼は心地よい重さだった。 俺はこの手を離さない――離したくない、と思った。 「そうだよ、大丈夫、俺がついてるんだから」 任せといてと胸を叩いたら、しげは「頼りにしてるわ」と言った。 しげは靴と靴下を脱ぎ、ズボンの裾を膝あたりまで捲り上げる。そして、再び差し出した俺の手を取った。 手を繋いだまま、波が寄せ来る中に俺が歩を進める。俺の手に引かれてしげも足を踏み入れる。 「砂、さらさらしてる……」 「あんまり行くと石が転がってて危ないからね」 自分たちの足にまとわりつく波も、わずかに青い光を発していた。 「すごいなぁ……こんなふうに見えるんやなぁ……」 少し前に屈んだしげは、右手で海水を掬い取るようにした。その刺激で海面は青く光るが、しげの掌に残った水に光はない。 「不思議やなぁ……」 呟きを漏らすしげの横顔をしみじみと見つめながら、俺も心の中で「不思議だなぁ」と思う。 今年、この海に来たこと。 しげと出逢い、この上ない親しみを感じていること。 まるで何かに意図されたかのような。 そんな縁がとても不思議で――だからこそ、尊く思う。 「しげ」 手を握りなおすと、しげが上体を起こして目線を合わせる。お互い、どちらからともなく笑みを交わして。 「いっせーのーでっ!」 かけ声と共に右脚を蹴り上げる。 俺たちを取り囲む海面がぶわっと発光し、一瞬この世ならざる世界にしげと二人きり立ち尽くしているような感覚を覚えた。 「達也」 呼ばれて首を動かすと、しげは真上を仰いでいる。 同じように視線を上げれば、暗闇に慣れた眼に満天の星々が飛び込んできた。 わずかに、しげが俺の手を握り直す気配。 言葉を出すことも億劫になるくらい、空も海も幻想のような美しさだった。 それは心をいっぱいに満たしてくれたけれど――奥の奥に、微かな不安がこびりついているように感じるのも確かで。 俺は、しげの掌と温もりを、しかと握り返した。 | |
2010.10.03 |
|
PREV TOP NEXT |