君の温もりは未だ




 アラームを切った俺の隣でしげが立ち上がった。律儀に「ごちそうさん」と言ってラムネの容器をくず入れに捨てる。
「しげ、今……」
 何か言った? と訊ねようとした俺の唇は、中途半端に動きを止めてしまった。
 潮風になびく前髪の間からのぞいた眼の色があまりにも寄る辺ない様で、たじろいでしまったのだ。

 見知らぬ浜に打ち上げられて為す術のない魚のごとき――孤独。

 ゆっくりと動いたしげの瞳が俺を捉えると、その色はいくらか和らいだように見えた。
「達也……何か言うた?」
「うん……あの、さ」
 しげが何を呟いたのか、もう一度訊くことはできなかった。
 浮かべる表情はとても柔らかで取っつきやすそうに見えるのに、しげの心は踏み込めない、思いとどまらせる頑なさが時折露になる。それが俺にはとても歯痒いのだ。
 出逢って2日め、まだ満足に話もできていないから当たり前なのかもしれないけれど……。
 じゃあ何故、俺はこんなにもしげに対して気安さを感じているのだろう?
 俺は自分で人当たりが良い方だと思っているし人付き合いは苦じゃないけれど、自分のことを他人に話すことはあまりしない。訊かれたらそれなりに答えはするけど、必要性を特に感じないから、自分から話すことは少ない。
 だけど、しげには、進んで話したいと思う。
 しげのことを知りたいから、俺自身のことも同じように知ってほしいのだ。
 海の家の開店準備をしなければいけないという仕事が課せられている朝の時間はどうしても制限があり、俺にとってはあまりに短かった。
 しげは次の言葉が続かない俺をしばらく見つめたあと、自分の腕時計に眼をやり、また俺と眼を合わす。
「達也、そろそろ……準備せんと」
 暗にもう帰らなければ、という雰囲気を漂わせたしげの両手を、ギュッと掴んで引き止めた。
「しげ、一回、夜に待ち合わせないっ?」
 しげの眼がまるく見開かれる。俺は慌てて言い足した。
「朝はほら、俺バイトあるし忙しないから、ゆっくり話してられないし……。しげの都合もあると思うんだけど……どう、かな?」
 はた、はた、としげの眼が瞬く。
 じっと俺に注がれるその眼から何も読み取ることができず、俺はしげの両手を掴んだままひやひやしながらしげの答えを待った。
 やがて、しげの表情が笑みに変わって唇が開かれる。
「うん……えぇよ」
「ホントに!」
 よかったぁ〜と、前のめりになって大きく息を吐き出した俺を見て、しげは何や大袈裟やなぁと笑う。俺にとっては大袈裟でも何でもなくて、素直な安堵だったんだけど。
 夜の海。俺はしげに見せたい光景があった。
 一緒に話をして、あの美しい光景を見て――。単純な俺の心は途端に弾みを取り戻す。
「今日の夜は、ちょっと無理やから……明日、で、えぇかな?」
「うん、わかった。俺、飯食ってからこっち戻ってくるから……8時頃、かな。しげはそれくらいの時間で大丈夫?」
 しげは笑顔でこくりと肯いた。
「ほら達也、いいかげん準備せんと開店に間に合わへんよ」
「あ、うわっ! ヤバイ、もうすぐおじさん来るじゃん!」
 デジタルウォッチは、いつもおじさんがやってくる時間の15分前を示していた。
「また明日なぁ、達也」
 石段を上りかけたしげが、振り返ってひらひらと手を振ってくれる。
「俺、めちゃくちゃ楽しみにしてるからね、しげ!」
 大声で叫んだ俺に対し、しげは堪えきれないふうに笑いをこぼす。そしてもう一度手を振ってから、背を向けて遠ざかっていった。

 

2010.09.19

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