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電灯がまばらな海沿いの道は、月が照らしてくれているおかげで随分明るく感じる。 自転車を押して歩く俺の隣、背中を猫背ぎみにして歩くしげは、線は細いが俺より背が高かった。 「しげは、この辺りに住んでるの?」と問うと、首を横に振って、「休み、取ってきた」と言う。 ということは、おそらく社会人なのだろうなと俺は当たりをつけた。 「じゃあ、ホテルとかに宿泊してるんだ」 しげはこくりと頷き、「あっこ」と、やや海にせり出した場所に建つ、ここらでは一番大きなホテルの建物を指さした。 俺が寝床にしているおじさんの家がある丘とは、この先の岐路でちょうど道を分かつことになる。 しげは口数の少ない青年であるようだった。しげから話題が出ることはなく、ほとんど俺が一方的に質問をしていたけど、俺は再びしげと出逢えてこうして話ができることだけで充分だった。 「何か、この街に用事でもあるの? 観光とか……っていっても、海水浴場以外、何もないと思うけど」 しげは、彼特有のゆったりとした微笑を浮かべ、ふうっと海の方へ眼をやった。 昼間の喧騒や明るい海の色の欠片もない、くり返し波の音だけが聞こえてくる暗闇。だけどそれを見るしげの眼は柔らかだった。 「ここの海に、思い出があってな……。僕、泳げへんから、海を眺めてるだけなんやけどね」 「しげ、泳げないんだ。俺も、子どもの頃は泳げなかったんだよね」 そう言うと、しげは驚いたように眼をぱちくりさせた。 「え……そうなん? でも……今は、サーフィンやるくらいやし、大丈夫なんやね」 「うん。今は平気。ダイビングも好きでやったりするし」 幼い頃は水が怖かった。それは憶えている。 家族でこの街に遊びに来ていた頃も……初めは、泳げなかったんじゃないだろうか。 俺はいつから水を怖がらなくなったんだろう――。 そんなことを考えているうちに、岐路に到着してしまった。 もっとしげと話をしたいのに、こんな短い時間じゃあとても足りない。 そういえばまだ、アイスかジュースをサービスする、と言った約束は果たしていない。それが次に逢うための理由になるだろうか、とりあえず言ってみるかと心の中で考えていると、しげの方が先に口を開いた。 「達也は毎日、朝にサーフィンしてるん?」 「うん……そうだけど」 「じゃあ、僕……また、見にきてえぇかな?」 「えっ……」 俺は思わずしげをまじまじと見つめてしまった。 それを否定的に解釈したらしいしげは、眉を下げておろっと視線を泳がせる。 「え……っと、嫌、かな? 僕……専門的なことはよぅわからへんし……見てるだけ、なんやけど」 「嫌じゃない、嫌じゃないっ!」 俺は慌ててがしっとしげの両手を掴んだ。 「見にきてよ! あ、俺のサーフィンもいいけどさ、俺はもっと、しげと話したい。そういうの……しげは、嫌?」 しげはまるくした眼をふんわりと細めて、「嫌ちゃうよ」と答えてくれた。 「じゃあ、また明日、な。達也」 「わかった。また明日ね、しげ」 小さく手を振って、しげは海沿いの道をまっすぐ行き、俺は自転車にまたがって丘へ続くゆるやかな坂道を上りはじめる。 坂を上るにつれて下方の闇は濃くなっていき、しげの姿はいつの間にか見えなくなっていた。 翌朝、俺はサーフィンを前にする高揚感とは別の感情も引き連れて、自転車で坂を下っていた。 できることならワーッって大声で叫びたいくらい、胸がわくわくではちきれそうだった。 坂の下に辿り着く。自転車から降り、それを持ち上げて石段を降りようとすると、海の家の 砂浜に伸びる影。ふわ、と風に煽られた髪が、ほのかに光を反射する。 「しげ、おはよ!」 石段を駆け下りながら声を上げた。しげがゆったりと振り返って「おはよぉ、達也」と返答する。 しげは、昨日のようにジャケットこそ着ていないものの、襟がお洒落なデザインになっている長袖のシャツをきっちりと着込んでいた。 手早く着替えて、俺はボードを持って立ち上がる。 「じゃあ俺、ちょっと波に乗ってくるから……。あ、そうだ」 海の家のシャッターを少しだけ開けて中に入り、ラムネを1本取り出して、それをしげに渡した。 「これ飲んで待ってて。なるべく早めに上がってくるから」 にこりと微笑んだしげの返事を受け取って、俺は海に向かって駆け出した。 | |
2010.08.22 |
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