悲しい夢は朝に溶けて




 咳き込んでごぼりと吐き出された血液が、地面に染み込んでいく。
 視界は靄がかかったように不鮮明だが、脳は案外クリアだった。
 伸びきった腕の指先よりも少し向こうにある腕に辿り着きたくて、俺は力を振り絞ってズリズリと這い進む。
「……ッ、シゲ……」
 (くずおれるようにして倒れたシゲの姿を視界の端に捕らえたのは憶えている。
 俺はがむしゃらに剣を振るった。
 誰にも、シゲの躰に触れさせるわけにはいかなかったから。
 向かってくる敵の命をすべて屠って、限界を超えた俺の躰は倒れた。それで満足だった。
 シゲは、躰をくの字に折り曲げて倒れているようだった。
 血に塗れた俺の手は、手探りでシゲの掌を求める。
「……タツ、ヤ」
 冷たい掌が俺の手の甲に重ねられた。そしてぎゅっと握られる。
「悪ィ、な……俺、シゲの顔見えない……」
 予想以上に、俺に遺された時間は少ないらしい。最期に、シゲの顔をはっきりと見たいのに。
「僕も、や……」
 体温の低いシゲの手はいつもひんやりとしていたけれど、今は命の温もりが消えかけている冷たさなのだとわかった。
「シゲ……シゲ、聴いて……」
 俺の命が尽きる前に。
 あなたの命が尽きる前に。
 誓わせてくれ。
「必ず……、俺は、必ず……ッ」
 神様なんて信じたことはない。
 だけど、魂が巡り巡ってまた生まれ変わるという――それだけは、幼い頃から信じていた。
 いつだったか、話したことがあるよな?
 シゲの横顔を遠目から見た瞬間、俺は「見つけた!」と思ったんだって。
 あなたは微笑して、「初対面で、タツヤが僕の手ぇ取ったやろ? そのとき、あぁ、この手を知ってる、って思たわ」って言ってくれた。
 ねえ、だから。俺は必ず――
「また、あなたを、見つけるからッ――」
 人の命を救ってきたシゲと、人の命を奪うことしかしてこなかった俺。俺はきっと、魂が浄化されるまでに時間がかかってしまうだろう。
 それでも俺は絶対に、あなたを見つけられる。
 何の根拠もなくても、俺はそう強く信じているんだ。
 細かく震えるシゲの手が、俺の手を握り直す。
「僕も、見つける……タツヤ……」
 今にも命の灯が消えてしまいそうな、かすかな声だった。
 だけど俺には、シゲの心の叫びが聞こえた。

(必ず、また逢おう。タツヤ――!)


    ◇


「――タツヤ」

 陽だまりのようにあたたかい声が、俺を眠りから起こしてくれる。
「シゲ……」
「おはよぉ。また、あの夢見たんやね?」
 俺の睫毛を濡らす涙を、シゲの指が優しく拭う。
 今際の際にシゲの顔は見られなかったけれど、今ならそれが良かったと思える。きっとシゲなら、苦しさを押し込めて唇に笑みを湛えて、俺を見つめていてくれただろう。でもそれを見てしまっていたら、きっと俺は忘れられないから。
 夢の中でこだまする悲痛な声に、心の中で言い聞かせてやる。心配すんな、俺はちゃんとシゲを見つけたよ、って。
「これでもだいぶ減ったんだけどね。俺にとってはまだ、シゲが足りないのかな〜」
「学年違うのにゴリ押しで僕の寮部屋に移ってきた奴が、何殊勝なこと言うてんの」
 じゃれついてやろうとした俺を、シゲは冗談半分に押し止めた。
「少しでもあなたの傍にいる時間が増えるんなら、俺は何だってするよ?」
 軍事学校において、学年の違いというのは途轍もなく大きな壁だ。軍部自体が強力な縦割り社会なのだから、軍人の養成所たるこの学校も同様なのは当たり前だ。
 俺は教授やシゲの同級生たちから目を付けられることを覚悟の上で、かなり強引にシゲと同じ寮部屋に入る権利をもぎ取った。――いずれ実力で黙らせることができるという算段はあるけれど、かなり敵を作る行為だということはわかっていた。
 それでも、俺にとっては出来うる限り“シゲの傍にいること”よりも重要なことはないのだ。
 シゲは静かに笑って、俺を抱擁した。
「……ありがとぉな、タツヤ」

 ――僕を見つけてくれて。

 俺は、シゲの声ならぬ声ごと抱き締めた。



2012.11.27



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