輪廻の
「囲まれちゃったね」 「そぉやな」 ジャキリと細身の剣を構えて僕は答えた。 背中合わせに在る相棒の存在。彼になら――否、彼にしか、僕の背中は預けられない。 「本当ならあなたには、剣を握らせたくなかったんだけどね……」 「体力がないのは否定せぇへんけどな」 戦況は悪くなる一方だ。人員は常に不足している。一応最低限の訓練は受けているから、足手纏いにはならないはずだった。 「僕の運命はお前と共に在る――。だから、置いていくな」 「了解」 彼の表情は見えない。けれどきっと、不敵な笑みを浮かべて答えたのだろうとわかった。 「さあ――行こうか?」 「おう」 「シゲル・ジョーシマ!」 教官の鋭い怒声に、僕はうとうとしていた意識から強制的に引っ張り出された。 ――また、あの夢を見ていた。 幼い頃からくり返し見る夢。戦場と思しき場所に立っている自分。背中合わせにいる相棒。 僕の生まれるずっと前から、戦争は世界中で断続的に繰り返されている。だから、僕がこうして軍事学校で学んでいるのはある意味必然ではある。 けれど、あの夢が影響していないかと言えば、否定はできない。 僕の家は代々商人で、軍人になる必要性は全くなかった。親の跡を継ぐという安泰な未来もあった。けれど軍人となる道を選んだのだから。 まぁでも、時代錯誤な夢を見るものだと思う。剣で戦う戦争なんて。現代の戦争は科学力の競争である。 「……はい」 立ち上がると、こめかみに青筋を浮かせた教官が教鞭で黒板をピシリと叩いた。 「C4H8Cl2Sの特性について解説していたのだが? もちろん聞いていたのだろうね?」 僕はひとつ息を吐いてから、まっすぐに教官へ視線を向けたまま唇を開いた。 「通称マスタードガス、別名サルファマスタード。常温で無色無臭、粘着性のある液体。ただし不純物を含む場合、黄土色をしており、辛子に似た臭気を持つ。それが名称の由来と言われている。遅効性だが、人体を構成するたんぱく質やDNAに作用し、皮膚や粘膜を冒す。発癌性あり。残留性及び浸透性が高く――」 「ああ、わかった……聞いていたのならいい。では続きを……」 僕はすとんと席に座った。クラスメイトらが「おーっ」を歓声を上げたり口笛を吹いたりする中、教官が「静かにせんかッ」と怒鳴る。生徒受けの良くない教官なので、一泡吹かせた僕に賞賛が贈られたのだ。 しかも僕は教官がまだ説明していなかったところまで言ってしまったらしい。しばらくあたふたとする教官を囃す声で、授業が一時中断することになったのだった。 ◇ 授業の合間の休憩時間、僕が席に着いたまま本を読んでいると、何やら窓の下が騒がしくなってきた。 視線をやれば、僕らと同じ制服に身を包んだ十数人の生徒達が歩いている。胸章を縁取る色が黄色だったので、一ヶ月前に入学してきた新入生だとわかる。僕達2年生は、胸章の縁取りは緑色である。 「ああ、新入生合宿が終わったみたいだな」 「そうか、一年は今日がこちらの校舎の初登校なんだな」 「一年前を思い出すよなぁ……二度のあの合宿は経験したくないけど」 クラスメイトの話を耳に挟みながら、僕は見るともなしに、新入生達に視線を走らせた。 そのとき、ジッと立ち尽くして僕の方を見ている一人の少年に気がついた。 明るい茶色の髪、背丈は小柄な部類のようだががっちりとした体つきをしている。僕は眼が悪いので顔立ちまではわからない。 けれど――。 すっと躊躇いなく差し出された手。 「俺はタツヤ・ヤマグチ。昨日付でここの部隊に配属されてきた。よろしく」 僕は戸惑いを押し隠しながら、その手を不気味なもののように見つめた。 「じぶん……僕の噂、聞いとらんの」 しかし返ってきたのは眩しいくらいの笑みだった。 「うん、聞いたよ。昨日のうちにご親切にいろんな人から。シゲル・ジョーシマ――通称、Dr.LONE」 それは医師の資格を持っているので医療班の手伝いに行くことが多く、単独行動を好み自室で個人的な研究をしていることからつけられた僕のあだ名だった。“変わり者”で通っている僕に好き好んで近づいてくる奴などいなかった。 「そんなら悪いことは言わん。僕に近づいて出世できるわけでもなし、逆に上から眼ぇつけられるだけやで」 「そんなの関係ねーよ。俺があなたに近づきたいって思ったの」 だからよろしく、と、彼は僕の右手を取って、にこやかな笑顔で握手をした。 急にガタン、と音を立てて椅子から立ち上がった僕に、教室中の視線が集まった。 「ジョーシマ? もう次の授業始まるぞ」 「わかってる――」 そう答えて僕は、急いで教室から飛び出していた。 もどかしく思いながら階段を駆け下りる。彼は、彼は――。 力の入らなくなった手を握り合って。 かすれた声で約束をした。 必ず――また逢おう、と。 開け放されていた扉から外に出た。 もう生徒達の集団はいなかったが――彼は、さっきと同じ位置で佇んでいた。 息を上がらせている僕に、彼はふっと微笑を浮かべる。 「あなた、相変わらず体力ないよね」 ああ、やはり、彼は。 確信が胸に下りてきたのに、僕は動けないでいる。 すると彼が歩み寄ってきて、僕の前で立ち止まった。 「俺はあなたより人の命を奪いすぎたからね……生まれてくるの、少し遅れちまったけど」 彼の腕が伸びてきて、僕の背中に回ってぽんぽん、と優しく叩く。 「待たせてごめんね、シゲ」 僕はふるっと首を横に振る。 「タツヤ……なんやな」 震えてしまう声に、彼は――タツヤは、力強く肯いた。 「そうだよ、シゲ」 心の底から湧き上がってくる笑みと共に、僕の眼からは一粒の涙がこぼれていた。 | |
2010.10.17 |
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