Be Loved On Our Darkness



 俺の役目は、あなたを生き(ながら)えさせること。


 光を遮る、重く暗いカーテンが部屋中を覆っている。俺はもう、太陽の光の強さなんて忘れてしまった。
 だけど、それは俺自身が望んだことだ。
 光なんてなくていい。人間らしい生活なんて要らない。
 シゲル君――あなたの命を、此処に留めておけるのならば。

 自分自身の生命を繋ぎ止めておける最低限の食事だけを摂って、俺はただずっと、眠り続けるシゲル君を見つめ続けている。
 誰にも邪魔されずにシゲル君だけを眼に映していられる事実が幸福すぎて、ときどきこのまま蝋人形になってしまってもいいかもしれない、と思う。
 けれどすぐに思い直す。シゲル君が眼を覚ましたとき、俺の声を聞かせてあげられないのは困るからだ。

 眠りについているシゲル君は、それこそ蝋人形のようだ。
 瞼も唇も微動だにしないものだから、本当に呼吸をしているのか心配になって、シゲル君の胸に耳を当ててみる。そうするとほんのわずかな鼓動を感じることができて、俺は胸を撫で下ろす。
 そうしてまた、飽くことなくシゲル君の目を瞑った顔を見つめ続ける。

 そうしていたら、不意にぴくっ、と瞼や睫毛が不規則に震えるのに気づくことができる。
 シゲル君の覚醒が近い証拠だ。
 俺にとってはその瞬間が、まるでこの世に生まれ落ちた瞬間のように希望に満ちあふれた一瞬なのだ。
 さあ、シゲル君の食事の準備をしなければ。
 俺はいそいそとワインボトルを取り出すと、グラスになみなみの紅い液体を注いでグッと(あお)った。 


      


 ベッドサイドのテーブルに、いつもの小さなナイフを置く。綺麗な飴色に仕上げられた木製の柄がついた、シンプルなもの。そして適当な(さら)し布。
 あとは、シゲル君が眼を開ける時を待つだけ。
 無音の時間が流れていく。だけどそれは、いつもの静寂じゃない。歓喜が爆発する前の、いわば嵐の前の静けさのようなものだ。

 シゲル君の睫毛が細かく震えた。
 瞼が何度か痙攣して――すぅ、と自然に開く。俺が愛して止まない琥珀の瞳が現れる。
 まだ世界の何ものをも映してはいない瞳。
「シゲル君、おはよう。……食事にしようね」
 今はまだ(いら)えがなくとも、もうすぐシゲル君の声を聞けると思えば、どうしても話しかけてしまうのだ。
 俺はナイフを手に取り、左の手首を掲げる。幾重にも傷痕が重なる場所へ、同じように刃を当てた。
 サクリと切れた皮膚から滴った紅の雫がシゲル君の唇に落ちると、とたんにシゲル君の顔色に生気が戻り、唇は俺の血の色を吸い取って赤く染まる。
 薄く開いたシゲル君の唇。そこへ俺は血液の雫をぽたりぽたりと垂らしていく。
 琥珀の瞳に光が宿る。ひとつ瞬きをしたのを見届けて、俺は左腕を引いた。そして手早く晒し布を巻きつけて止血した。
 そっとベッドに腕を差し入れてシゲル君の躰を抱き起こすと、血の通ったシゲル君の唇がゆるりと持ち上げられた。

「永い……永い、夢を見てた……。でも、ずっと……マサヒロが傍にいてくれたわ……」

 シゲル君の表情――それはうっとりとした幸福。
 俺がずっと傍で見守っていることで、シゲル君が感じてくれる幸福。
 俺にとって、これ以上の至福があろうか。

「うん。そうだよ、シゲル君。ずっとずっと、傍にいるよ。今までも、そしてこれからも」

「そぉか……。そんなら僕は、安心して眠れるなぁ……」

 たちまち、シゲル君の声は眠たげにとろりと溶ける。
 ほんの一時の、何度繰り返しても変わりのないやりとり。それでも俺にとっては――何より大切な一瞬。

「うん。俺はずっと此処にいるから。だから安心して眠ってよ、シゲル君」

 俺は心からの笑顔を浮かべている言っているはずなのだけれど。
 シゲル君の眼は淋しげに揺れて、伸ばした右手で俺の頬に触れて、こう言うのだ。

「じゃあ……マサヒロは何で、泣いてるん……?」

 シゲル君の指が拭ってくれるのは、知らず知らず流れてしまっている俺の涙。

「シゲル君とずっと一緒にいられて、嬉しいからだよ」

 それは決して嘘じゃない。
 俺は、シゲル君を生かすために生きている。シゲル君が生き存える限り、俺はシゲル君の傍で生き続ける。
 俺の命はもう俺のものではなくて、シゲル君のものなのだ。
 それは本当に本当に、嬉しいことだ。

「そぉか……」

 そうしてやっと、シゲル君は安堵したように眼を閉じる。そして躰の力を抜く。
 ぐったりとした躰をベッドに横たえると、シゲル君はもう眠りに落ちている。蝋に包まれた躰になっている。


 俺はまた、眠り続けるシゲル君を見つめ続ける。
 それが俺の血潮(ちしお)

 

2012.07.23





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